白鷺宮の新しき試みに寄せて

白鷺宮の名を冠した美しいたたずまいの姫路護國神社において、崇敬奉賛会が立ち上がり、会報の第一号が発刊されますことを、魂よりお祝い申し上げます。

私は中高の時代を淳心学院にて学びました。淳心学院は、護國神社と同じく白鷺城下にあり、私は学校の帰り道に神社の前をよく通りました。しかし、ただの一度も、その鳥居をくぐったことはなかったのです。

この夏の始まりに、姫路経営者協会のお招きで、つたない講演をいたした際に、泉和慶宮司のお計らいによって正式参拝をさせていただき、おかげさまで初めて、鳥居をくぐりました。

中高生の頃のわたしは、護国神社の鳥居の横に立つ石の柱を眼にするたび、「護國とは何だろう」と考えました。その石柱(社号標)に刻まれた「兵庫縣姫路護國神社崇敬奉賛会」の文字のほかには、「護國」という言葉に一度も接することがなかったからです。当時ティーンエイジャーのわたしであっても、先の大戦で戦った英霊のことをさすのであろうとは、おぼろげに思いました。しかし、わたしたちがその護國の英霊によってこそ今、生かされていることまでは、考えが及ばなかったのです。

そこに、わたしなりに意識が届くようになったのは、仕事で海外を歩くようになってからでした。たとえばアメリカの首都ワシントンDC郊外のアーリントン国立墓地をゆっくり歩けば、国家国民によって葬られているのは、アメリカが勝者となった先の大戦の戦死者だけではありません。敗者となり、いまだ戦争批判の強いベトナム戦争での戦死者もまったく同じく、深い敬意とともに葬られています。

ではなぜ、日本の靖國神社は、敗れたからといって私的存在になり、戦死者は国家国民の負担によって弔われることがなくなったのでしょうか。わたしたちが敗戦後の教育で、護國という言葉を一度も聞くことなく、英霊の果たされた尊い役割を教わることもないことと、それはずっしり重なり合っています。

姫路護國神社が崇敬奉賛会を立ち上げられこうして発刊されることは、若い世代にフェアな歴史教育をおこなう新しい挑戦という意味でも貴重な試みであると信じます。(了)

青山氏

寄稿:青山繁晴氏

株式会社独立総合研究所(独研)代表取締役社長 兼 主席研究員
近畿大学経済学部客員教授(国際関係論)